伝説を超えて:坂本龍馬、その真実の肖像の再構築
序論:巨人の影ー揺るぎなき龍馬イメージの力
高知県桂浜の海岸線を見下ろす丘の上、あるいは長崎の風頭山の頂から港を見据える高台に、坂本龍馬の銅像は立っている 1。ブーツを履き、懐手をした和服姿で、はるか太平洋の彼方を見つめるその姿は、多くの日本人が心に抱く龍馬像の物理的な顕現である 3。それは、旧弊な封建社会の枠にとらわれず、日本の未来、さらには世界の海を夢見た、自由闊達な英雄のイメージだ 1。この力強く、ロマンに満ちた姿は、もはや歴史上の人物という枠を超え、国民的アイコンとして確固たる地位を築いている。
しかし、この広く浸透した英雄像が、歴史的事実そのものを映し出したものではなく、ある一人の作家の筆によって、その骨格から細部の肉付けまでがなされた文学的創造物であることは、今日の研究において広く認識されている。その作家こそ、司馬遼太郎であり、その作品が1960年代に発表された長編歴史小説『竜馬がゆく』である 5。この小説の影響力は絶大であり、一般的な「坂本龍馬」のイメージは、本書によって作り上げられたと言っても過言ではない 7。司馬自身も、歴史上の人物「坂本龍馬」と、自身の創作した主人公「坂本竜馬」とを、意図的に漢字を使い分けることで区別していたとされるが 9、その境界線は、多くの読者の心の中で溶け合い、一体化してしまった。
本稿は、この「司馬竜馬」という強力な文化的プリズムを通して形成されたイメージを批判的に再検証し、一次史料、特に龍馬自身の手による書簡や近年の研究成果に基づいて、植え付けられたイメージからの脱却を試みるものである。そして、ロマンのヴェールを剥いだ先に現れる、より複雑で、多角的、かつ人間的な、真の坂本龍馬像を再構築することを目的とする。我々は、理想化された革命家から、現実主義的な「政商」へ、そして完璧な理想主義者から、彼自身の言葉の中に浮かび上がる、矛盾と魅力を兼ね備えた一人の人間へと、その焦点を移していく。
第1章:国民的英雄の創生:「司馬竜馬」イメージの分析
司馬遼太郎の『竜馬がゆく』によって生み出された坂本龍馬像は、単なる歴史小説の登場人物にとどまらず、一つの文化的現象となった。この章では、まずそのフィクションとしての英雄像の構造を解剖し、次いで、そのイメージがなぜ1960年代の日本社会において、かくも熱狂的に受け入れられたのか、その時代的背景を考察する。
1.1 欠点なき男:フィクションとしての英雄像の解剖
学術的な分析によれば、司馬遼太郎が描いた「竜馬」は、ほとんど欠点のない、理想的な人間像として造形されている 10。その人物像は、いくつかの明確な特徴によって構成されている。
第一に、私欲なき愛国者としての側面である。司馬の竜馬は、個人的な功名心や金銭欲とは無縁で、その行動のすべてが「国のため、天下のため」という純粋な動機に貫かれている 10。新政府の要職に自身の名を連ねなかったという有名なエピソード(これは史実ではなく創作である 11)は、この無私無欲の精神を象徴的に示すものとして描かれた。
第二に、平等主義の先覚者としての姿である。小説の中で竜馬は、封建的な身分制度を根底から否定し、すべての人間が平等であるべきだという思想を持つ人物として描かれる。その理想は、アメリカの民主主義社会に範をとったものであり、彼はその理想を唱えるだけでなく、実践をもって新しい国を創ろうとしたと強調される 10。
第三に、平和主義の戦略家という性格付けである。司馬は、竜馬がいわゆる「万国公法」を用いて「いろは丸事件」を解決しようとした点を捉え、彼を武力ではなく対話と法によって問題を解決しようとする平和主義者として描いた。史料上、龍馬の平和理念に関する直接的な記述は見当たらないものの、司馬は龍馬をそのように解釈し、物語を構築した 10。
そして最後に、これらすべての特質を包み込む、明るく闊達で、常識にとらわれぬ天才という魅力的な人間性である。土佐弁を操り(このイメージ自体も小説による影響が大きい 5)、誰とでも分け隔てなく接し、その人懐っこさと大局的な視野で、敵対する勢力さえも魅了していく 12。司馬の巧みな筆致は、こうした理想化された人物像に圧倒的なリアリティと躍動感を与え、読者を惹きつけてやまない英雄を誕生させたのである 15。
1.2 新時代の英雄:『竜馬がゆく』と戦後日本の文脈
では、なぜこの特定の龍馬像が、1960年代の日本で国民的な現象となったのだろうか。その答えは、作品が書かれ、読まれた時代の社会経済的背景に深く根差している。
司馬遼太郎自身、第二次世界大戦に従軍した経験から、昭和の軍国主義が持つ硬直性、非合理性、そして自己破壊的な性質に深い幻滅を抱いていた。彼は後年、自身の歴史小説執筆の動機を、戦争に突き進んだ指導者たちとは異なる、合理的な精神を持った日本人を描くためであり、「いわば、23歳の自分への手紙を書き送るようにして小説を書いた」と述懐している 17。この文脈において、司馬が描いた竜馬は、まさに昭和的指導者像へのアンチテーゼであった。盲目的な忠誠を強いる代わりに同盟を築き、排他的な精神論ではなく世界に開かれた合理性を重んじ、息苦しい官僚制よりも個人の自由な精神を尊ぶ。司馬の竜馬は、戦争のトラウマを抱える日本社会にとって、まさに待望の新しいリーダー像だったのである。
さらに重要なのは、この物語が高度経済成長期の日本で熱狂的に受け入れられたという事実である。1960年代の日本は、戦後の復興期を終え、世界経済へと雄飛する野心的な成長の時代にあった。この時代、社会が求めたのは、旧来の硬直した階級社会や年功序列を打ち破る、革新的で、大胆な発想力とネットワーク構築能力であった。
ここに、坂本龍馬の物語は、驚くほど現代的な寓話として機能した。藩という旧来の組織(会社)を飛び出し(脱藩=転職・独立)、自ら新しい組織(亀山社中=ベンチャー企業)を立ち上げ、強力なスポンサー(薩摩藩)から資金を調達し、敵対する二大勢力間の大型提携(薩長同盟=M&A)を仲介し、新しい国家の設計図(船中八策=新規事業計画)を提示する。この物語は、まさに戦後日本の理想的な企業家、あるいはサラリーマンヒーローの原型そのものであった。経営者層がこぞって司馬作品を愛読した 16 のは、単なる娯楽としてではなく、そこに自社の、そして日本株式会社の未来を切り拓くための、歴史的な青写真とインスピレーションを見出したからに他ならない。司馬の竜馬は、既成概念を打ち破り、ビジョンとネットワークで成功を収める、高度経済成長期を生きる男たちのための理想的なロールモデルとなったのである。
第2章:伝説の解体:龍馬の主要な功績の再検証
フィクションとして構築された英雄像を理解した上で、次はこのイメージの核となった龍馬の功績について、歴史の記録を丹念に検証する。特に彼の名を不朽のものとした「薩長同盟」と「船中八策」について、その神話性を解体し、より事実に近い姿を明らかにする。
2.1 薩長同盟:唯一の設計者ではなく、仲介者兼兵站担当者
司馬遼太郎の物語に強く影響された一般的な認識では、坂本龍馬は、犬猿の仲であった薩摩藩と長州藩を、その卓越した構想力と行動力でただ一人結びつけた、薩長同盟の立役者として描かれている 18。彼が歴史の歯車を大きく動かした、という英雄譚の中心にこの功績は位置づけられている。
しかし、歴史研究が示す現実は、より複雑で、共同作業の側面が強い。まず、同盟締結のために奔走していたのは龍馬だけではなかった。特に、同じ土佐脱藩の志士である中岡慎太郎もまた、両藩の和解のために精力的に活動しており、その役割は決して龍馬に劣るものではなかったことが指摘されている 10。
龍馬の真にユニークで決定的な役割は、壮大な政治構想の提唱者というよりも、むしろ卓越した**交渉仲介者(ブローカー)であり、そして何よりも兵站担当者(ロジスティシャン)**としての機能にあった。彼の組織「亀山社中」は、この同盟締結において具体的な問題を解決する上で不可欠な存在だった。当時、幕府によって経済封鎖されていた長州は、近代的な武器を切実に欲していた。一方、薩摩は武器を調達するルートを持っていたが、藩内の米が不足していた 19。龍馬と亀山社中は、この両者のニーズを的確に見抜き、その間隙を埋める役割を果たした。すなわち、薩摩藩の名義で武器や艦船を購入し、それを長州に転売する。その見返りとして、長州から薩摩へ兵糧米を送るという、三国間貿易にも似た取引を成立させたのである 19。
このことから導き出される結論は、薩長同盟は壮大な政治的理想だけで結ばれたのではなく、極めて現実的な「ビジネスディール」の側面を色濃く持っていたということである。龍馬の貢献が不可欠であったことは間違いないが、彼は唯一無二の設計者ではなく、より大きな流れの中で、商人としての才覚とネットワークを駆使して同盟成立の物理的な障害を取り除いた、最も重要な実行者の一人だったのである。
2.2 「船中八策」の神話
坂本龍馬の功績の中でも、最も象徴的で、彼の先見性を物語るものとして語り継がれてきたのが「船中八策」である。通説では、慶応3年(1867年)6月、龍馬が土佐藩の船「夕顔」の船上で、後藤象二郎に対し、新しい国家体制の基本方針を口述し、それが大政奉還、ひいては明治新政府の礎となった、とされている 22。これは、一介の浪人が日本の未来を設計したという、劇的なエピソードである。
しかし、近年の研究では、この「船中八策」の存在そのものに強い疑問が投げかけられており、「偽作説」が有力となっている。その根拠は複数ある。第一に、この重要な会談に同席したとされる後藤象二郎や、それを書き留めたとされる海援隊士・長岡謙吉の当時の日記や記録の中に、「船中八策」に関する記述が一切存在しないことである 26。第二に、この物語が、明治時代になってから、土佐出身の文筆家たちによって、維新における龍馬(ひいては土佐藩)の役割をより大きく見せるために創作された可能性が高いという指摘である 27。歴史家の保谷徹一らは、司馬遼太郎がこれらの明治期に作られた物語を史実として採用してしまったと論じている 27。
そして、偽作説を裏付ける最も強力な証拠が、同年11月に書かれた、龍馬直筆の『新政府綱領八策』という文書の存在である 28。この文書には、大政奉還後の新政府の構想が具体的に記されている。偽作説の論旨は、後世の人間が、この現存する『新政府綱領八策』の内容を、より劇的な逸話とするために、時期を遡らせて「船中」での出来事として創作した、というものである 28。
この「船中八策」をめぐる議論は、単なる歴史の事実認定の問題にとどまらない。それは、歴史上の英雄がどのように「作られる」かを示す格好のケーススタディである。明治維新後、新しい国民国家を形成する過程で、国民を統合するための物語と英雄が必要とされた。維新を主導した薩長出身者が政府の中枢を占める中で、土佐藩もまた、自らの歴史的貢献をアピールする必要があった。その際、維新後の政治的ないざこざに関わる前に暗殺された坂本龍馬は、理想化するのに最適な人物であった。
新政府の基本構想のすべてを、龍馬一人の天才的なひらめきに帰する「船中八策」という物語は、彼を単なる活動家から、近代日本の設計者へと昇華させる、極めて効果的な装置であった。この物語は、土佐藩の威信を高めるという政治的な目的を果たし、後には日露戦争期の国威発揚などにも利用された 30。そして最終的に、司馬遼太郎の筆によって、国民的な神話として定着したのである。このように、「船中八策」の神話は、歴史的記憶がいかに政治的要請と物語の力によって形成されていくかを示す、雄弁な事例と言える。
第3章:見過ごされた側面:真の坂本龍馬の再構築
主要な伝説を解体した今、我々は残された史料の断片から、より本物に近い坂本龍馬の姿を再構築する作業に入る。特に、彼の人間性を伝える書簡、見過ごされがちな経済人としての一面、そして同時代人から突出していた国際感覚という三つの側面に光を当てることで、伝説の背後に隠された男の姿を浮かび上がらせる。
3.1 現実主義の戦略家:龍馬の書簡に見る人間像
「豪放磊落」というフィクション上の人物像とは対照的に、龍馬が残した140通以上の書簡は、驚くほど多面的で複雑な人間性を映し出している 31。
まず、彼の書簡は、家族、特に姉の乙女に向けられたものにおいて、ユーモアと愛情に満ちている。冗談を飛ばし、身の回りの出来事を細やかに報告するその文面からは、国事を憂う英雄の姿とは異なる、一人の青年としての素顔が垣間見える 24。一方で、勝海舟の門下生になったことを報告する手紙では、「猶(なお)エヘンエヘン、かしこ」と、得意満面な様子を隠そうとしない。これは、自らの成功を誇らしく思う、極めて人間的な承認欲求の表れである 32。
さらに、彼の書簡は、彼が細心かつ戦略的なコミュニケーターであったことを示している。彼は手紙の相手に応じて、その内容や、時には書体さえも使い分けていた。木戸孝允のような政治的盟友に宛てた手紙は真面目一方であるのに対し、家族への手紙は砕けた内容になっている 31。これは、彼がコミュニケーションを、人間関係を構築し、目的を達成するための戦略的な道具として捉えていたことの証左である。大局を見据える大胆さと、細部への配慮を両立させる能力こそ、彼の真骨頂であった。
そして、彼の行動哲学を象徴するのが、『恥といふことを打ち捨てて、世のことは成るべし』という言葉である 12。これは、目的のためにはプライドを捨て、柔軟に、謙虚に教えを請う姿勢を是とする、徹底した現実主義(プラグマティズム)を示している。人々を魅了したのは、天賦のカリスマ性というよりは、むしろこのような目的志向の柔軟性と、相手の懐に飛び込むことを厭わない現実的なネットワーク構築術だったのである。
3.2 先見の明ある起業家:近代日本商業の先駆者としての龍馬
坂本龍馬のアイデンティティの中で最も見過ごされてきた側面は、おそらく「ビジネスマン」としての一面であろう。彼は本質的に、政治と商業の領域を自在に往還する「政商」であった。
彼が設立した「亀山社中」およびその後身である「海援隊」は、単なる革命活動家の隠れ蓑ではなく、日本初の株式会社とも評される近代的な商社であった 21。その活動は、海運業、貿易業、武器の仲介など多岐にわたり、商業と軍事力が一体となった組織であった。
一介の脱藩浪士であった龍馬が、いかにしてこれほど大規模な事業の資金を調達したのか。彼は、薩摩藩や長州藩といった有力大名だけでなく、越前福井藩の松平春嶽や長崎の豪商など、多様なパトロンから資金を引き出すことに成功している 35。これは、彼の卓越した資金調達能力と、事業の将来性を説得力をもって語る起業家としての才能を物語っている。
彼の経済的ビジョンは、単なる武器取引にとどまらなかった。彼は国家レベルの経済政策にも深い関心を示しており、『新政府綱領八策』の中では、外国との公正な貨幣交換比率の確立を提言している 26。そして、彼の構想の中で最も大胆なものが、下関の関門海峡に「海の関所」を設け、通行するすべての船舶から通行税を徴収するという計画であった。この計画は、同盟勢力に莫大な富をもたらすと同時に、徳川幕府の経済的生命線を断つことを狙った、壮大な経済戦略であった 37。
ここで、龍馬の行動原理を理解する上で重要な視点が浮かび上がる。幕末の志士たちの多くが、その身分や資金力に活動を制約されていたのに対し、龍馬は商業こそが、封建的な身分に縛られない独立した権力基盤となりうることを看破していた。彼にとって亀山社中は、既存の「藩」に代わる、機動的で、裕福で、武装した、彼自身の「城」であり「領地」であった。彼の商業活動は、政治活動の従属物ではなかった。むしろ、商業こそが彼の政治活動を可能にするエンジンそのものであった。船を動かし、人を雇い、武器を取引し、有力大名と対等に交渉するための資金、物資、そして信用力のすべてが、この商業活動から生み出されていたのである。したがって、龍馬を単なる「革命家」と呼ぶのは不十分である。彼は、来るべき新時代において、経済力が政治力と不可分であることを理解していた、革命的「起業家」だったのである。
3.3 封建時代の国際人:龍馬の国際感覚と「万国公法」
多くの尊王派が「攘夷」という排外的な思想に染まっていた時代にあって、坂本龍馬の思考は際立って近代的かつ国際的であった。
彼の西洋知識への関心は、抽象的なものではなく、極めて実践的なものであった。その象徴が、国際法解説書である『万国公法』の活用である 38。これは、アメリカの法学者ヘンリー・ホイートンの著作 “Elements of International Law” を、アメリカ人宣教師ウィリアム・マーティンが漢訳したもので、当時の東アジア全域に影響を与えた書物であった 39。
自らが運用する蒸気船「いろは丸」が紀州藩の船と衝突し沈没した「いろは丸事件」において、龍馬は武力や政治的圧力に訴えるのではなく、『万国公法』に記された国際的な海事法の原則を盾に交渉を行った。そして、強大な紀州藩を相手に、多額の賠償金を勝ち取ったのである 43。これは、封建的な国内秩序の中にあって、西洋が生み出した普遍的な「法」の論理を用いて自らの権利を主張するという、画期的な行為であった。
この一件は、龍馬が、日本の未来は異国を打ち払うことにあるのではなく、彼らのルールを学び、それを使いこなし、対等な立場で渡り合っていくことにあると、深く理解していたことを示している。彼の国家構想は、単に幕府を倒すという国内的な視点にとどまらず、日本が国際社会の一員としていかに生き残るかという、現実的なグローバルな視点に根差していたのである。
第4章:新たなる統合:より本質的な坂本龍馬像へ
これまでの分析を通じて、司馬遼太郎の小説が生んだ完璧な英雄像と、史料から浮かび上がる現実の人物像との間には、大きな隔たりがあることが明らかになった。この章では、それらの知見を統合し、最終的な、より本質的な坂本龍馬の肖像を提示する。
デミゴッドからハイブリッドな人物へ
結論として、坂本龍馬は、司馬遼太郎が描いた欠点なきデミゴッドでもなければ、一部の冷笑家が言うような単なる武器商人でもなかった 14。彼は、幕末という混沌の時代が生んだ、複雑で移行期的な「ハイブリッドな人物」であった。彼は卓越したネットワーカーであり 23、理想を抱きつつも極めて現実的な判断を下すプラグマティストであり、野心的な起業家であり、そして類まれな国際的視野を持つ男であった。土佐の同時代人が評したように、彼は「ときと場合とにより臨機応変、デタラメに放言する人物」でもあった 43。これは、彼の行動が一つの主義や思想に凝り固まったものではなく、状況に応じて最適な手段を選択する、驚異的な柔軟性を持っていたことを示唆している。
比較表:フィクションの「司馬竜馬」 vs. 歴史上の坂本龍馬
本稿の核心的な議論を明確にするため、以下にフィクション上のイメージと、史料に基づき再構築された人物像を比較する表を提示する。この表は、本報告書の分析結果を凝縮したものであり、確立されたイメージと再検証された実像との差異を一目で理解できるように意図されている。
特徴 | 「司馬竜馬」(フィクション上のイメージ) | 歴史上の坂本龍馬(史料に基づく肖像) |
第一の動機 | 私欲なき愛国心。国家のために、無血で理想的な革命を成し遂げようとする純粋な情熱 10。 | 新しい日本への理想と、個人的な野心、そして商業的利益の追求が融合した、現実主義的な動機 37。 |
主要な能力 | フォロワーを自然に惹きつける天賦のカリスマ性と、先見的な理想主義 13。 | 戦略的な人脈構築、兵站管理、資金調達、交渉術、そして政治的道具としての商業に対する深い理解 12。 |
薩長同盟での役割 | 構想を練り上げ、その人間力のみで同盟を成立させた、中心的な設計者であり唯一の立役者 18。 | 中岡慎太郎らと協働し、武器と米の交換という具体的な物流・商業メカニズムを提供した、重要な仲介者兼実行者 10。 |
政治的青写真 | 船上で天才的なひらめきによって構想された、新政府のための包括的な計画「船中八策」 22。 | 後に起草された具体的な政治綱領「新政府綱領八策」。船中八策は、後世に政治的意図をもって創作された可能性が極めて高い 27。 |
世界観 | 西洋へのロマンチックな憧憬に根差した、抽象的で、ほぼ生来の自由と平等への愛 10。 | 『万国公法』のようなテキストの学習と、実際の国際貿易への従事から得られた、知識に基づく具体的・実践的な国際主義 38。 |
中核的アイデンティティ | 政治的目的を達成するために、やむを得ず商業にも手を染めた、革命的「志士」 15。 | ビジネスと政治が表裏一体であった、「政商」であり起業家 33。 |
結論:龍馬の永続的レガシー:フィクションの偶像から歴史の触媒へ
本稿は、桂浜の銅像に象徴される理想化された英雄像から出発し、そのイメージを形成した司馬遼太郎の『竜馬がゆく』の分析を経て、史料に基づき、より複雑で、現実主義的、かつ商才に長けた歴史上の人物像を再構築する旅を続けてきた。この神話の解体作業は、決して坂本龍馬の歴史的重要性を貶めるものではない。むしろ、彼の真の非凡さがどこにあったのかを、より明確に照らし出すものである。
司馬遼太郎が描いた「竜馬」が、戦後の高度経済成長期という20世紀の日本が必要とした英雄であったとすれば、史料から浮かび上がる歴史上の「龍馬」―すなわち、革新者、ネットワーカー、リスクを恐れぬ起業家、そしてグローバルな思考を持つ実践者―は、21世紀の我々が直面する課題にとって、より示唆に富む、適切な人物像であるかもしれない。
「きっと私たちの胸のうちに、それぞれの『僕のリョウマ』がいる」という言葉があるように 45、歴史上の人物に対する我々の理解は、時代ごとの社会の要請に応じて変化し続ける。矛盾と複雑さに満ちた「真の」龍馬は、フィクションの中の完璧な英雄よりも、はるかに豊かで、人間的、そして結果としてより永続的なレガシーを提供してくれる。彼は、完璧なビジョンの象徴としてではなく、急進的な不確実性の世界の中で、適応し、現実的に立ち回り、そして執拗に新しい未来を追求し続けた、歴史の偉大な「触媒」として、我々の記憶に残り続けるだろう。